思ったことメモ/#06から#10まで

#06死

私の所属しているサークルで合宿があります。その時に「持病とかありませんか?あったら連絡してください」といった旨のメールが。思い出してしまいました。今でも私の体に残るこの傷跡、一生残り続け消えることの無い傷跡。このお話を。

高校2年の時です。私は猛烈な腹痛に耐えていました。両親は深夜の1時か2時くらいでしたかね、部屋に来るなり肩を抱き、私は病院に運ばれることとなりました。後から聞いたら、ただごととは思えなかったから私を病院に連れて行ったのだそうです。今となってはこのことに私はただ感謝するばかりです。

そして病院に着くと、ついには腹痛のため足に力が入らず車椅子になってしまいました。そのまま入院し、飲まず食わずで何日も検査の日々が続きました。CTスキャンですか、あれもやりました。そしてある日の深夜……、病室にエコー(妊婦のお腹の中の赤ちゃんの動きを調べる時に使ったりする超音波検査の機械)を持ってきて二人の医者が私のお腹を調べていました。そしてある病気だと確信したみたいです。そして数日後手術。手術後も飲まず食わずの日々が続きます。ですが一週間くらいしたら何かの数値が高いみたいで二回目の手術。そして私は回復。約一ヶ月の入院生活が終わり、今では何の影響もなく毎日を過ごしています。

傷跡とは手術でメスを入れた部分と、チューブが刺さっていた部分のことです。二回も同じところを手術したので、傷跡は消えることはありませんでした。そして退院時に医者からはこう告げられます。「急激な運動をしてもかまわないけど、傷が痛むようなら即静養。病院に来てね」と。このときの医者の一言をメールしたわけです。

ありありと思い出せるとはこのことかというほどに、私に当時の思いがよみがえってきました。両親や友人には笑ってごまかしていましたが「自分はこのまま死ぬんじゃないか」とまで思っていました。尋常でない痛みと身体の具合、尋常でない検査。普通CTスキャンなんて使いませんよね。

死というものに私は決して逆らうことができない、ということをすごく実感しました。死はやってくるものではなく、自分が死というものに一歩一歩近づいているというわけでもなく、実は死は自分に内在していて突然発現するものではないか、とさえ感じられるほどでした。死にゆく自分を自分では何にもできないのです。たとえどんなに生きたくても。

この経験以降、私はいい意味で大人になりました。「人間はいつ死ぬか分からないから、明日死んでも構わないという生き方をしよう」と思うようになりました。そしてやってくる喜びは以前以上に大きなものとなり、やってくる悲しみは以前以上に小さなものとなり、太陽の光はよりまぶしく感じられます。

だから理由のいかんにかかわらず、命を粗末に扱う人は嫌いです。色々と同情の余地はあるかもしれませんが、生きたくとも生きられない人がごまんといるからです。

私が入院しているときに亡くなった、斜め向かいのベッドのじいさんはこんなことを言っていました。

俺なばまずいぎだ。でもよ、まだやりでごどなばある。おめもあるべ、やりでごど。でもよ、たぶんでぎねぐなるなだ。んだ、でぎねぐなる……」(標準語訳は「俺は十分生きた。でもまだやりたいことはある。お前もあるだろ、やりたいこと。でも多分できなくなるよ。そう、できなくなる……」)

思い出しただけでちょっと涙が出てきそうになります。「じいさん、精一杯生きます」、そう誓ったことさえ忘れそうでした。思い出した今ここに記し、今度は絶対に忘れません。忘れてはいけないことだと思います。

退院後、学校へ行くと授業が進んでいまして……。ベクトルは空間ベクトルから、数列は漸化式から勉強することになった私です。こんな笑い話も。笑えないか。

04/07/28

#07日本文化センター

以前まったりしておしゃべりしていたとき、なぜか地方CMの話題になっていました。岩手出身の人が数人いて、その人たちが私には分からない岩手のCMを歌っていました。そのとき、たま〜に分かるCMを歌ったりするんですよ。けんじワールドー♪などですね。

その人がせんだいぜろっにいーにいー、にいごーにいの、にいにいにいにいー、にっほーんぶんかセンター♪と歌ったときに、関東出身の人がとうきょうぜろっさーん、さんにいまるまる、にいにいにいにいー、にっほーんぶんかセンター♪と歌い始めました。

全体がへぇーっていう空気の中、長野出身の人がなーがのっぜろにいろくー、にいはちろくの、にいにいにいにいー、にっほーんぶんかセンター♪と歌い始め、一同苦笑。長野のリズムが悪すぎるんです。「えっ、音痴じゃないよね?」って聞く人もでる始末。

「おもいっきりテレビ(日テレ)」のCMの日本文化センターは全国で音楽が違っていたんですね。(関連リンクAkiyoshi Ono’s just a little POSPOS homepage

ちなみに福島に行ってきましたが、そこではフリーダイヤルで、紹介したHPと状況が変わってしまっていました。他にも変わってしまったところがあるかもしれませんので、ご了承ください。

04/08/12

#08すいません

日本語の乱れが声高に主張されて久しいです。私は若いせいもあってか気になることは少ないのですが、敬語だけは気になってしまいます。新語や略語、カタカナ語は時代の流れ上仕方の無いものでしょうが、敬語は乱れるべきものではないと感じます。社会の変化と言ってしまえばそれまでですけど、今の子供たちは概して昔の子供たちよりも敬語を使わないことは間違いありません。例えば、小中学校の教科書には堂々と「先生が○○とおっしゃる」といった文が載っていますが、今の生徒は誰もそんなこと言いません。日本語、方言に興味がある私ですらせいぜい「先生が○○と言っています」ぐらいです。私の場合の丁寧語は聞き手に対しての敬意なので、先生には口に出しては敬意を表現していないということです。心の中には先生への敬意はほんのちょっとはありますよ。ですが、今ではその表現に何の違和感も無い社会です。さらに凄いことに先生にタメ口という人もちらほらと。おいおい、それはまずいでしょう……。

特に気になっているのは「すいません」という言葉です。これを敬語と思っている人が多すぎます。私はバイト先で注意された時に上の人に「ミスしたらすいませんだろ!」と怒られたことがあります。「申し訳ありませんでした」と謝ったら、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして更にブスっとされたことがありました。すいませんという言葉はあまり使うべきでは無い言葉、ととっていた私は習性でそう発言してしまったのですが、体育会系のバイトではまずい発言をしてしまったか、と若干の後悔をしています。それ以来「すいません」という言葉には敏感に反応してしまう私です。結構世の中に溢れていますよ。

「すいません」はスポーツ関係のとき、体育会系の人には多用される語ですが、本来改まった場では使うべきの言葉ではありません。私はサークルのとき、プレーでへまをやってしまった場合は「ごめんなさい」と言います。口でつい言ってしまうのはまだいいとして、書き言葉のすいませんはどうも好きになれません。「○○でした。すいません」なんてあったらどうもしっくりきません。だからあえて使いませんし、あまり相手に使って欲しくもありません。「失礼しました」「申し訳ございません」などの表現がびっとしていていいと思います。

私みたいに何でもないようなことにこだわったりする人がいますからご注意下さい。もしかしたら、どなたかも似たようなことでうっぷんが溜まっているかもしれませんね。日本語が乱れているのか、はたまた変化しているのかは現在を過去として振り返ることでしか分かりませんが、一応苦言を呈させて頂きました。なんだか感情論で終わってしまいましたね……。

04/06/09

#09あだ名

私はあるサークルに所属していますが、そのサークル内では同じ姓の人がいます。更に、先輩にかって私と同じ名の人もいたということで何と呼ばれるといいか困っています。こういうときにあだ名が付けられ、重宝されるなんてことがありますね。

私のバイト先ではおっちゃん達があだ名で呼び合っていました。名が「かつじ」の人は「かっちゃん」、姓が「いたばし」という人は「いたさん」と呼ばれていました。こんなあだ名を何度も聞いていて思いましたが、この世代の人々と私達の世代とではあだ名に対しての感覚が違うみたいです。「とみなが」は「トミー」、「長村(おさむら)」は「村長」、「かおる」は「かおドゥー」を経由し「ドゥー」(最終的に「ドゥー」)などが決定的に違うあだ名かと。おっちゃん達は「単純に簡便化」(仕事だからかもしれませんが)、私達は「ヒネリを加えて簡便化」となっています。

私はこの違いが生じるのは、時代の変化によるあだ名の受け止め方の違いにあると考えました。おっちゃん達は略せばいいと思っているのではないでしょうか。なぜ略したいのかは、その人のことをたくさん呼びたいからであり、なぜその人のことをたくさん呼びたいかというと、その人とより親しくなりたいからです。おっちゃん達はあだ名を主として親しくなるための手段として用いているのでしょう。私は私達がなぜヒネリを加えるのかはよく理解しているつもりです。面白くつけるのが基本ですが、別に面白いあだ名を求めているのではなく、その面白いあだ名に匹敵する個性、キャラクターをその人に求めているのです。つまりトミーにはトミーとしての個性を発揮することを、口には出さなくともトミーと呼ぶ人皆が求めているのです。

あだ名に限らず、呼ばれる名によって私達のとる行動は変わるものです。私の場合、「○○」「○○くん」「○○さん」「○○様」「カトゥー」と呼ばれる全てでとる行動が違いますから。もっと具体的な例として、子供のパパの例が挙げられます。仕事場で「○○さん」と呼ばれるときにとる行動と、家で「パパ」と呼ばれる時にとる行動は違うものですし、また期待される行動も違うものであるということです。

おっちゃん世代と私達の世代のあだ名に関しての考え方の変化は、いつごろどういうきっかけで起こってきたのか興味深いですが、そんなことを考えるのは私だけなのでどうしようもないです。さてさて、サークルで私は何と呼ばれればいいのやら。実は「カトゥー」も既にいるそうなので、HNの変更が必要でしょうか?でもこのHNは中学校以来5、6年続いているのでなかなか捨てがたいです。まあ捨てませんけど。オンリー1の名前の方々はうらやましいです。まだ早いですけど、自分の子どもにはオンリー1な名前を付けてあげたいです。

04/06/09

#10ひきこもり

このひきこもりのフラッシュで思わず泣きそうになりました。

私はひきこもりとはおおよそ無縁ですが、すごく引きつけられる内容がありました。

「手を伸ばしさえすれば何でも手に入るって」

「今はただ本気を出していないだけで、本気をだせばいつでもすぐに自分なんてものは簡単に変われるはずだって」

「でも現実にはめんどくさいし明日から変わればいいやと思ってた」

私は学生なので、今も親にお金を出してもらって生活しています。お金はやっぱりどうしても必要です。お米を送ってもらっていますが、切り詰めても食費だけで10000円は超えてしまいます。家賃も必要ですし、電気、ガス、水道などのライフラインも欠かせません。バイトもしているのですが、そのためツールとしての携帯電話も欠かせません。高校生の頃まではこんなこと何一つ分かりませんでしたし、親も何一つ口にしませんでした。

ある運送業者でバイトをしていたことがあるのですが、朝から定時まで一生懸命働いて7000円です。サービス残業が当然のようにある中、残業にはしっかりと手当てが出るのでいい会社とも言えるかもしれません。この金額を安いとみるか高いとみるかは、本人の金銭感覚しだいです。

7000円が丸々手に入るのですが、私はそうは思わないようにしています。月末になると、家賃、光熱費、携帯電話、ネットなどの料金が通帳から引かれます。引かれはしますが、バイト代と奨学金も入っていて何とかキープしています。その差し引きで残った分だけを自由に使うようにしています。親には普段は学費だけ出してもらっています。それが今の自分にできる精一杯の親孝行だと思うからです。

小さいころは「○○欲しいー!」「○○行きたいー!」なんて、親によく無理を言っていました。「何バガなごど言ってらっけな」(標準語訳は「何バカなこと言ってるの」)なんて言われるのが当然のことながらほとんどでした。親が子どもに対しお金を使うのは当然のように感じていました。「何で買ってくれないんだ」という筋違いの考えで親を憎んだことさえあります。ただ、今となっては親の気持ちが分かります。お金も時間もなかなか無いんですよね。本当は買ってあげたいし、一緒にどこかに行ってあげたいはず。ただ物理的に無理があったんですよ。

私は奨学金をもらっているのですが、その申請をする際に両親の給料を書かなくてはならないのです。その時に初めて親の給料をみせてもらいましたが、少なくてびっくり。奨学金の申請も余裕で通りました。何か買ってあげたいのですが、買ってあげられないという親の気持ちが痛いほど分かりましたし、と同時に色々要求していた自分が情けなくなりました。

同じ年で働いている友人もいますが、給料は一ヶ月手取りで十数万円くらいだそうです。秋田で親と同居しているからいいのですが、もし一人暮らしをしていたら……。手元に残るのは本当に少ないでしょうね。ロート製薬に勤めている友人は一ヶ月手取りで二十数万だそうです。ただし住んでいるところが首都圏なので、家賃なども半端じゃないでしょう。使えるお金はいくらなのでしょう……。

そんな毎日を過ごす中、光を失ってはいけないと思うのです。手を伸ばしさえすれば何でも手に入るってと思っていた自分は確かにいたのです。実現することは難しいことですがそのことは間違った考えとは言えませんし、皆そう思いながらも、誰もが壁にぶち当たります。そこで絶望した後にはにどうすればいいのでしょうか。ひきこもりとそうでない人の違いは、その後に取った行動の違いだけです。

今現在、日本にひきこもりが100万人いるとも言われています。

04/09/21

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