思ったことメモ/#01から#05まで

#01ファンタのCM

私のおすすめCMはアミノ式も捨てがたいですが、ファンタです。あんな先生いたら最悪ですけど、先生シリーズが面白い。記憶を頼りにファンタのCMのレポートを書きます。

3年A組革ジャン先生

先生「ベイベー、ベイベー」

生徒「受験間に合うのかなぁ」

3年C組ドラゴン先生

先生「ハァー、アチョー、ファー……、はいここテストにでま〜す」

生徒「やってらんねぇー」

3年D組激安先生

先生「198の○○が2割引で、ボーナス一括払いでさらに5%オフ、さらに今なら13%のポイント還元、さていくら!」

生徒「6割引きだったよ……」

3年F組DJ先生

先生「次次次の問題はー、やまやま山下さん」

生徒「3xです」

先生「チュッチュチャカチャカ……、違います」

生徒「傷つくわぁ」

3年G組将軍先生

先生「授業じゃ。この問題が分かる者は誰かおるか。おらんのか!」

生徒「はい」

先生「頭が高い!」

生徒「どうすりゃいいんだよ……」

3年H組昼メロ先生

男「まさこ!」

先生「いまさら何よ!」

先生「バカーっ。寂しかったー」

義母「このドロボウ猫」

先生「お義母さま!」

生徒「授業しろよ……」

3年J組ツッパリ先生

先生「漢字テストだぁ。こらぁ。横田!3年だったら読めるだろこんぐらい。(黒板には、吐露非狩古鬱)」

生徒「読めません……」

先生「バカーっ。寂しかったー」

先生「トーローピーカル、フルーツだぁぁ!」

生徒「そんな無茶な……」

3年S組黒ひげ先生

(生徒が次々に剣を刺していき、ある一人の生徒の剣で先生が吹き飛ぶ)

先生「掃除当番です」

生徒「そんなのアリかよ……」

このCMを見て笑っている場合では無いことには皆さんお気づきでしょう。こういった風刺が好評をはくすほど、日本の教育の現場は来るべきところまで来ているということです。一般の方々が笑えば笑うほど、青ざめていく人がごく一部にいるということです。でもとりあえず、笑っておきましょう(笑)(関連リンクGeneric Information Country Oriental

04/05/15

#02箸

一人暮らしをしていますと、スーパーやコンビニ、他外食関係にはお世話になります。不本意ながら、私の本日の夕飯はスーパーのおつとめ品のカレーでした。私の食事購入のダントツの1位はご飯の炊き忘れです。純粋に炊き忘れ、スイッチの押し忘れ、米をといでスイッチを入れる時間さえ無いなんて時も……。

これを買う時に以前スーパーであった出来事を思い出してしまいました。レジで箸をくれなかったのです。(今回カレーはしっかりとスプーンが貼り付けてありました)コンビニでは絶対にありませんが、スーパーではたまにこんなことがあります。私的にマニュアル通り行動してくれる店員さんは大歓迎です。「ご注文の方はお決まりだったでしょうか?」「お皿の方をおさげさせて頂きますがよろしいでしょうか?」「とんでもございません」「おつりの方は50円です、お確かめ下さい、ありがとうございました」なんて言葉は気にしません。ついつい50円玉をしっかり眺めてしまう素直な私。まあこんなところで話題にしているってことは思いっきり気にしていることの裏返しですけどね。

こんなときはつい癖で考えちゃいます。

「今この状況に置かれた私は果たして箸をくださいと言うべきかどうか……。箸は100本入の袋が部屋にあるけど、消費したくないから何となく欲しい……。でも言うほどのことでもないし、何となく恥ずかしい……。でもこんな買い物をする若造はレジで箸をもらうのが普通だろうし、店員さんも同年代の女の子だし理解してくれるだろう……。でもずっとこうして考えていたいけど、考えれば考えるほど時間が経過し箸をもらいにくくなる……。そうこうしているうちに店員さんと目があってしまって、なんか気持ちを悟られたか……。マイバックに商品を詰め終わったし、最後のチャンスは今しかないっ……。でもスーパーのカゴを重ねちゃったし、本当の最後のチャンスは今しかないっっ……。でもでも果たして玄関に歩を進めている人がなぜに箸を欲しがっているんだろうか。それとも私は箸をもらいたいのだろうか?この感情に近いのはスーパーの袋をもらいたい人、三角折りにして保存する人の気持ちだろう……。だとしたら、なぜ私はマイバックを持参しているのか。マイバック持参and箸をもらう、という行為は不自然では無いか?なぜマイバックを持参しているのか?それは地球の環境のために少しでも貢献できればという気持ちからだ……。環境という観点から考えると箸をもらう行為は自然なことであろうか?おそらくもらわない方がよいだろう……。これは大きな矛盾だ。しかしそれ以前に、この箸をもらいたいという衝動はどこからやってきたのだろう……。箸一膳もらうかどうかなど長い人生で取るに足らない些事なのに。そこに私をさらに見つめるカギがあるに違いない……」

………。

結局、箸はもらいませんでした。いいんです、それでいいんです。バカなネタを提供してくれた店員さんありがとう。本当にありがとう。天にも昇るほどの至福の時でした。この「箸をくれなかった」ご恩は一生忘れません。

04/06/13

#03自然

数年前にちょっと考えていたことを最近の講義で思い出しました。「主体的になれ」とか、「私のいうことは聞くな」といった矛盾を含む内容は人間の行動を迷わせるといった内容でした。まあ説明するまでもないと思いますけど、「私のいうことは聞くな」ということに従う場合「いうこと」を聞いてしまっていますし、従わない場合はその人に従っていないということになります。要はどちらの行動も取れないという事ですね。こんな感じで雑談もちゃんと聞いているので、単位ください。

さて私が思い出したこととは、題の通り「自然」についてです。私は環境のことを勉強したくて進学しましたし、スーパーにマイバックを持参するほどの自然愛好家なので自然についてはうるさいですよ。

本題ですが、メディア等で以前から「自然を守りましょう」とよく言われていますよね。私はこのフレーズは矛盾していると思います。仮に地球に人がいないとしてみますと、火山が噴火したらそのまま、砂漠化してもそのまま、となるはずです。地球はなるがままの姿を保とうとしているのに対し、人間が自然に介入し自然を守ろうとしているのです。環境が変わってしまったら人間は生きられなくなってしまうためです。

人間がいなかった場合の本来の自然が自然と考えるならば、人間の存在は不自然になってしまうので、そう考えることはできないはずです。私は水と有機酸が豊富に存在する上、水が気体、液体、固体の3つの状態を保つことができる環境にある地球で、長い時間がかかったとしても人間が誕生したことは自然だと思っているので、私的には人間の存在は当然です。さらに、人間が存在している限り人間がいなかった場合に比べて地球が汚れ、環境が変化していくことも当然です。

私達は「つくられた自然」の中でしか生きられません。言いたいことはそれだけです。「地球を人間の住みやすい環境に保ちましょう」と言いたいところですが、問題があるので「自然を……」と言っているのでしょうね。他の生物を差し置いている自己中心的な考えを言い換えることで、積極的に主張しないあたりが人間の卑怯なところですね。アサリを食べる変な生物が宮城県に出現しましたが、レポーターも「大変グロテスクな生き物が……」などと言っていましたし。本心としては「アサリを食べる生物はいらない!いなくなってしまえ!むしろ絶滅しろ!」くらい言いたいところでしょう。

「自然を守りましょう」の言葉には「地球を人間の住みやすい環境に変えていきましょう」といったニュアンスも含まれていると感じるのは私だけでしょうか。

ならば人間生活における自然って何なのでしょうね。化石燃料を大量に消費し、地球環境を激減させていくのが自然なのか、はたまた、そうならないように積極的に地球環境に介入し、地球環境を保っていくのが自然なのか……。自分で提言しておきながら自然が何なのか分からなくなってきました。

04/06/16

#04車とバイク

暑いです。本当に。6月なのに30℃越しちゃっていますよ。台風一過の暑さですね。今年初の真夏日。まず、ぬぎ。(標準語訳は「本当に暑い」)さて、昨日の台風では仙台は雨と風、共に強まりましたが、それほどの被害は無かったように感じます。でも昨日は「車道に壊れた傘が2本開いた状態で落ちていて、それが飛んでくる」という本当にヤヴァイ経験をしました。すんでの所で回避。死ぬかと思いました。傘ぐらいで……、と思わないで下さいね。バイクは空き缶1個でも死ねますよ。本当にバイクは危ない。このことは誰にも話したことはありませんが、私はバイクに乗る前に「無事でありますように」と祈ったり、バイクに乗り終わった後「今日も生きて帰って来られました」と感謝したりすることがたまにあります。マジです。車しか乗ったことの無い人にはこの感覚は絶対に分からないでしょう。

バイクと車、相性が悪い2つの乗り物が同じ道路の上を走っているのが本当に不思議に感じられさえします。私は仙台ではバイク、秋田では車、と両方を運転しますので、どちらか一方にしか乗らない人よりはこの問題について分かっているつもりです。ここで個人的な意見をつらつらと書いてみたいと思います。

車がバイクについて思うこと
ウゼぇよ。

左側からの無理な追い越し、急加速からの追い越し、信号で止まっているときや渋滞時の横抜けをするからバイクはウザイんですよ。私は平和主義者なので基本的に横抜けは許しますが、車が動いているときに横抜けするのは本当に危ないです。頼むからそれだけは止めてください。

遅ぇよ。

遅いというのはバイク(特に原付)の人には分からない感覚です。法定速度30km/hの原付でも、実際は50km/hで走っています。車の人は直線だったら60〜70km/hで走りたいんですよ。このちょっとの速度の差が困る原因です。20km/hぐらいで走っている自転車でしたら簡単に追い越せますよね。さらっと。でも50km/hで走っている原付は、見通しの良く長い直線でないと追い越せないんですよ。だから50km/hに合わせて後ろについていくことになりますが、これがまたなんとも…。また、信号が青になり、フルスロットルで走ってもたかが原付。うちの10万km走行のパルサーでもロー、セカンド、サード…、としっかり使って走れば絶対に車が速いですよ。勘違いはしないで下さいね。もう一度言いますが、たかが原付。

うるせぇよ。

これは基本的には大きいバイクですね。基本的に大きいバイクに乗る人はバイクや車が大好きです。なのでいじってるんですね、バイクを。まず、やがしめ。(標準語訳は「本当にうるさい」)

道路の真ん中走るなよ。

これは原付ですね。真ん中を走られると追い越せません。でもこれはバイクの気持ちもよく分かります。端を走るのは嫌なんですよ。道路にゴミとかが落ちていれば危ないですし、飛び出してくる人も多いですしね。前述したように、バイクの人は道路のゴミには敏感です。落ち葉とか、スーパーの袋とかちょっとしたもので転倒することがありますし。自動車学校で習うキープレフトは実情にそぐいません。車も、バイクも。車では片側2車線あったら、私は基本的に右を走ります。片側3車線なら真ん中を走ります。色々と危険を避けられるので。

バイクが車について思うこと
幅寄せすんなよ、車間距離とれよ。

これは走っているときも、止まっているときも。なんともいえない圧迫感ですごく怖いです。タクシーによくあるのですが、止まるときにぴったり後ろに……。バックミラーで車のフロント部分が見えず、フロントガラスしか見えないくらいに……。頼むから止めてください。

急ブレーキすんなよ。

前方をよく見てゆっくりブレーキングすればいいのに、毎回ABS使ってお前は初心者かと。車は速く思いっきり踏むだけですが、バイクの急ブレーキは難しいです。前輪ロック→転倒、後輪ロック→グリップ低下となるためロックしないように、バランスをとって転倒しないように、と気を使います。今はエアコン、ABS、エアバックの3点セットは基本で、ABSの無い車は過去のものになっています。それが、お手軽急ブレーキを生んでしまっています。これはヤヴァイ。

といった感じですね。

あと気になったのはキープレフトですね。これを実践している人はいるのでしょうか。私は始めて運転した時に、父に「道路の真ん中を走れ」と言われました。センターに右タイヤがくる程度で走ると、父はなぜか満足げに。そして、「対向車が来た時に自分の車線をしっかりと走れ」と言われました。青森出身の友人も全く同じことを言われたそうです。これは田舎の暗黙のルールみたいです。雪国の人は、冬に「わだちを走る」(基本)、「一時停止せず、最徐行」(雪道では停止からの発進が面倒)を実践する傾向もあるので、お気をつけて。完全な推測ですが、この癖が夏でもあるのでしょうね。

04/06/22

#05人見知り

これは土曜日のことです。飲み会がありまして参加しました。打ち上げみたいな感じの飲みです。結構な人数が集まってわいわいとやる形式の飲みでした。人数は正確には分かりませんが、50人以上はいたかと思いましたね。その時Yさんという先輩の女性から指摘されたことが忘れられません。しばらくは忘れないでしょうね。

「マジな話だから、私の目を見て聞いてね」

「カトゥーくんってさ、いいキャラあるんだから……。もっとだしていこーよ」

「ちょっとカトゥーくんのさ、考えを聞かせてよ」

飲んでいたせいもあり、一瞬ぽかーんとしてしまいました。考えなしには自分の考えを上手にしゃべれないんです。そりゃ当然。でも、なんとか色々としゃべりました。指摘されたのは「人見知り」のことみたいです。

私はちょっと人見知りをします。あんまりにも小さい時のことは記憶にありません。でも小学生くらいの時は「きがねわらしだごで」(標準語訳は「言うことを聞かない子どもだな」)「まずわっぱがだ」(標準語訳は「本当にわんぱくだ」)などとしょっちゅう言われていたような気がします。だから今とは違いますね。中学生くらいの頃からでしょうか。少し人見知りをするようになったのは。中学生の時には身長もぐーんと伸びましたし、心も豊かになったかな、と感じています。色々ありましたからね。高校生の時と今、それぞれの物の考え方はほぼ一致しています。何度考えても人見知りへの転機は中学生の時ですね。

では「人見知り」とは何かちょっと調べてみました子供などが見慣れない人に対して不安を感じたり、恥ずかしがったりすることとあります。小さい子どもがもじもじしているようなことでしょうね。

が、なぜか初対面の人に対し、私は特に不安を感じません、恥ずかしいという気持ちもありません。相手が信頼できない、嫌いというわけでもありませんし……。話しかけたいんですけど話しかけにくいのです。私は男女問わず話しかけられるとすごくうれしいです。相手の気持ちになって考えると、話しかけられた方が絶対にうれしいはず。でも、自分からはちょっと……。なので相手から話しかけるのを待ってしまうのです。数回話したことがあれば大丈夫なんですけどね。なぜ人見知りをするのかこれは今でも分かりません。考えても全く。

思えば、女の子から遠まわしに言われることがありますね。「疲れたの?」とか、「カトゥーくんって意外におもしろいんだね」とか、「カトゥーくんと初めてしゃべった気がする」とか。最近言われたこういう発言も、きっと私が人見知りをしていたからなんですね。我ながら自分のアホらしさにへこみますね。こうして言われたことのうちで印象に残っているものをちょっと文章にしてみただけで……。

さて、Yさんの話に。この人は当日ヒョウ柄の服で爪が緑。私はストライクゾーンが広いので気にはしませんが、なんだか苦手なタイプでした。でも私が「人見知り」をすること、先輩に言われたことはこれから実践するように努力することを話しました。そしたら、「私も昔そうだったんだよ。でもかなり転校したから……。それじゃダメだって気づいたんだ。だからカトゥーにも直してほしいな」と言われました。この人が人見知りだったなんて、すごく意外でした。この人はかなり酒を勧める方で前回の飲みではお世話になりましたが、今回はそんなこともなく私に優しくしてくれました。心なしか、先輩の目がうるんでいたように……。先輩も色々大変だったんだな、と。そして私に優しく指摘(といいますか、本当はちょっと怒っていました)してくれました。怒ることは、自分のエゴをぶちまけること、相手のために悪い部分を指摘することの2つがあると私は前から考えています。この年にもなると後者で怒ってくれる人などそうはいません。本当に感動しました。と共に、ストライクゾーンがさらに広がりました、なんていうのは冗談。

人見知りといってもそんなに激しくはないんです。どこぞの店の店員とかとは余裕で話せますし、特段日常生活には支障はきたしません。ただ、知り合いから友達、の過程が人に比べて若干遅いかなと。言われたことですし、直したほうがいいですね。難しいでしょうし、善処しますといったところですね。善処なんて目の前で言うと……。

「こらっ!カトゥー!とりあえず飲めっ!」

って言われちゃうでしょうけど。

04/06/28

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