秋田の方言メモ/#01から#05まで

#01方言は恥ずかしくない!

私が実家に帰り家族と話すときはもちろん秋田弁ですが(ただし県南バージョンですし、一応10代なので年配の方の様に本格的ではありません)果たして、実家で家族と話すときに方言を使わない人はどれほどいるでしょう。そう考えてみるとどうでしょうか。私の予想ではほとんどの人が多かれ少なかれ方言を話すと思います。方言を全く使わない人の方が少数派であることは間違いないでしょう。

ですが、方言を話すことは恥ずかしいという社会通念があります。(関西弁などの一部の例外を除きます)私も高校生の頃までは秋田弁なんて好きではありませんでした。理由は単純です。田舎くさくて恥ずかしいからです。

今は晴れて大学生となり標準語を毎日話すようになっています。といいますか、話が通じないので標準語しか話せません。話に同意するとき「んだんだ」ではなく「うんうん」と話さなければならないのです。

ある日ふと気づきました。秋田弁を話せないことがもどかしいというか、苦痛というか、話している自分が自分であって自分でないように感じるというか……。結局秋田弁は私の要素だったのです。そう悟った私にはもう社会通念は通用しません。私にとっては最高レベルの癒しです。だからこうして秋田弁についてのエッセイをせっせと書いているわけです。

03/07/**

#02さんび

今年の仙台の夏は異常なほど寒いです。仙台には「やませ」という夏に吹き寄せる冷たく湿った風がある、と地理で習ったことがあります。その影響もあるのかもしれませんが、それにしても異常だと思います。今日は7月25日で夏季休業にもう入っていますが、今この文を書いている私の服装はTシャツの重ね着の上に裏起毛のパーカーという有様です。

10年ほど前の冷夏を思い出します。あのときは大変な米不足になったそうです。「そうです」というのはいかにも他人事のようですが、私の父は兼業農家の分際で自らをプロの米農家と自負しているほどの○○(自主規制)であり、全くといっていいほど影響が無かったからです。だから今年も実家の心配は無用だと思いますが、日本全体で考えると大きな問題です。先行きが不安です。

さて、秋田弁では「寒い」を「さんび」(または「さび」)といいます。そして、「冷たい」を「ひゃっけ」(または「しゃっけ」「はっけ」)といいます。

なんだそのままじゃん、とがっかりしないで下さい。口の動きを考えてみると、明らかに「さむい」より「さんび」、「つめたい」よりも「ひゃっけ」の方が小さくて楽なことに気づくでしょう。吹雪の中にいると想像してみて下さい。口は凍えて思うように動かなくなるはずです。つまり、秋田弁は地域の実情に合うように進化を遂げた言語なのです。素晴らしいですね秋田弁は。考えれば考えるほど好きになります。

03/07/25

#03投げる

「ごみ投げていっていい?」

「えっ?投げるって?」

「えっ?」

1番目と3番目は秋田弁をしゃべる自分のセリフ、2番目は関西出身の友人のセリフです。二人は何が分からなかったのでしょうか。相手側はごみは「捨てる」ものである、と捉えていたので「投げるって何?俺の部屋にごみを散らかしていくの?」と勘違いしてしまい混乱してしまったのです。そして、私はごみは「投げる」ものである、と捉えていたので「投げるって?」と聞かれてしまい、「投げる」(つまり「捨てる」)というかなり基本的な動詞の意味が伝わらなかったことに混乱してしまったのでした。どのくらい基本的かといいますと、学年は忘れてしまいましたが小学校のとき、クラスの壁に「ごみ投げを忘れずにしましょう」という文が書かれた紙が貼ってあった程です。

秋田県民にごみを「捨てる」という意味はもちろん通じます。標準語だからです。ですが秋田県民はごみが邪魔だなと感じると、ごみを「投げなさい」という命令を脳が下すのです。こればかりはどうしようもありません。脳がそのセリフをまず思いつくのですから。挨拶しようとするとき、日本人は「こんにちは」、アメリカ人は「Hello」というセリフをまず思いつくということに似ています。

さらに厄介なことに、「投げる」という動詞が標準語として存在してしまっていますから(例えば「ピッチャーがボールを投げる」という文は日本全国で通じます)秋田県民は標準語を相手に話したつもりになっているのです。意味が相手に全く伝わっていないにもかかわらずです。

この経験から得たことは、自分が標準語を話したつもりになってはいるのですが実は相手に全く伝わっていないことがあるということです。そのことをしっかり認識しておき柔軟に対応する必要がありますね。そうしないとこの例のように、二人は標準語という言葉の架け橋とでもいうべきものを持っているのに、会話がストップしてしまうということがしばしば起こるでしょう。またもう少し考えてみると第2話での「さんび」のように反射的に、とっさにでてくる言葉についても同様だと思われます。

ちなみに日本の西部では捨てることを「ほおる」とも言うそうな。日本の東部では「投げる」みたいですね。ちなみに英語では「throw away」ですよね。秋田弁と英語の感覚はすごく近いんだよ、明智クン。はい秋田の勝ち

03/07/**

#04まず

深夜と今朝と夕方の3回にわたって強い地震を感じました。特に、今朝の地震は宮城県北地方で震度6強というすさまじいものだったそうです。ここ3、4日の間雨が断続的に降り続いているので、私が住んでいる所も山がちなところですから土砂災害が心配です。でも5月頃にあった地震よりは若干揺れが小さかった様に思います。部屋がゆれただけですし。(でも余震の数が多いでしょうか?)あのときは部屋の本棚からものが落ちてきたり、トイレで芳香剤が倒れてしばらくトイレは強烈なラベンダーの香りがしていましたし、そのとき一緒に部屋にいたIくんは「やばいって、やばいって!」と言って、靴下のまま外に飛び出していく有様でした。足元が危ないのでそっちの方がやばいって(笑)今となってはいい思い出です。

そういうときはやはり家族から電話がかかってきて、本格的な秋田弁が聞けるというものです。「あや、どでんしたで。そっちなばなんじだった?おらほなばよ、おめの部屋の本棚がら本どだどだって落ちてきたっけ。まず、どでんした」(標準語訳は「あー、びっくりした。そっちはどうだった?こっちはね、お前の部屋の本棚から本がどさどさって落ちてきたよ。かなり、びっくりした」)と早口でまくしたてるのです。これに秋田弁特有のアクセントが加わるので、秋田弁を知らない人にとってはやはり外国語の世界になってしまうでしょう。

こうして文章にして考えてみますと面白いことに気づきました。第3話でも話をした、標準語にも単語はあるが標準語とは異なる用法があるというものです。それは「まず」(または「まんず」とも言います)という単語です。辞書で調べてみました。

まず まづ 【▽先ず】 (副)
  • 他のことに先んじて。最初に。第一に。
    「―私から報告いたします」
  • 何はともあれ。ともかく。
    「―一休み」
  • だいたいのところ。一応。おおよそ。
    「―これでよし」
  • (打ち消しの語を伴って)ほとんど。
    「―助からないだろう」「―来ないだろう」

このように書かれてあります。じゃあ電話での私の母のセリフの「まず」はどういう意味だったのでしょうか。こういうところで私の理系脳みそはうまく機能してくれませんが、秋田弁を話す者の感覚としてはこの3つのいずれにも該当しないように思います。「かなり」「とても」などの強調の意味のつもりで言ったと思います。

ここで私が提言したいことは、秋田弁の「まず」は意味が標準語の「まず」よりも多いのではないかということです。もう少し考えてみますと、私は今でも友達などと別れるときに「じゃあ、まずね」などと平気で言ったりしています。標準語に直すと「じゃあ、またね」とか、「じゃあ、バイバイ」とか、「じゃあ、よろしく」といった感覚です。しっくりくる表現を思いつきました。「じゃあ、まずね」=「じゃあ、どうも」です。よく思いついたものですね、この脳が。あと私は小さい頃こう言われて育ちました。「このわらしなば、まずゆうごどきがね」と。(標準語訳は「この子供は、全然言うことを聞かない」)まだまだあります。そんな子供だったのでこうも言われました。「何やってけちあがるんだ!まず、このわらしは!」と。(標準語訳は「なにやってくれるんだ!一体、このガキは!」)

しばらく考えてみましたが、この脳ですからこれ以上は思い浮かびませんでした。でもとりあえず秋田弁の「まず」について私なりに定義してみたいと思います。

まず まづ 【▽先ず】 (副)

今回の話は自分では満足のいく出来栄えですが、不足している部分があるかもしれません。いや、多分不足しているでしょう。ご意見などありましたらよろしくお願いします。最後に一言。秋田弁を話す人は「まず」と挨拶されると、まず笑顔になってしまいますね。近くの秋田出身の人に試してみて下さい。

03/07/**

#05腹わり

今日警察の方々にお世話になりました。指紋も採られました。指定場所一時不停止と手元にある水色の紙に書かれてあります。もう一方の紙には、金額5000円と書かれてあります。マジでムカつきます。でも明らかにスピードオーバーだったので、それだけですんだことはラッキーとも考えられます。「5000円だよ!」と警官に言われたときは、最高に怖い顔をして「は?」という感じで睨みつけました。するとけっこう体格のいい強面の警官が目をそらしながら、「5000円はいたいねー」と言ってきました。そりゃいたいよ。だってバイトの半日分。取調べには素直に応じましたが、こうでもしないと気がすみませんでした。でも目をそらしてくれたので「勝った」という気持ちになり、幾分内に秘めた怒りもやわらぎました。まあ「目をそらすとこいつの怒りも静まるだろう」と考えた上でのパフォーマンスだったとしたら、相手の方が一枚上手だったでしょうけどね。

さて、秋田弁では怒ったり、不快感を表現するときに、「腹わり」や「好きでね」としばしば言います。この2つは秋田弁を知らない人にとっては意味の勘違いをしやすい単語といえます。「腹わり」と言っている人は決してお腹の調子が悪いのではありませんし、「好きでね」は「好きではない」というように「好き」という単語を否定しているというニュアンスでもないのです。ただしこれらの単語を口にする秋田県民は、程度の差こそあれ不快感を持っていることは間違いありません。そんなときに意味の勘違いをしたら取り返しのつかないことになってしまうはず。

腹わり」=「ムカつく」、そして「好きでね」=「ムカつく、嫌い」という意味です。「そんたごどされれば腹わり」という文を標準語に直すと、「そんなことされると本当にムカつく」となります。また「俺、アイツのごど好きでね」という文を標準語に直すと、「俺、アイツのこと嫌い」となります。怒りの度合は「腹わり」>「好きでね」となるでしょうか。

これらの単語をしゃべる秋田県民にご注意下さい。

03/07/25

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